神ゲーとクソゲー、何が一番違う?
「完成度」じゃないかなと思ってます。
神ゲーはシステム・グラフィック・音楽が全部噛み合っていて、最高のゲーム体験ができる。クソゲーはどこかがズレてる。
操作感が少し変だったり、見た目がクセ強だったり、ゲームバランスがどこかおかしかったり、目的がよくわからなかったり。
でも、そのズレが全部悪いわけではないと思っています。
むしろ「ズレてるのに面白い」がクソゲーの魅力でもある気がするので、単純に優劣の話じゃないとも思ってやす。
神ゲーはきれいに整ったすごさがあります。
クソゲーは「なんでこうなった?」とツッコミたくなるすごさがあります。
方向性が違うだけで、どちらもゲームの面白さの一部なのかもしれません。
完成度が高いだけでは神ゲーとは限らない
完成度が高いゲームはもちろんすごいです。
バグが少ない。操作しやすい。見た目がきれい。音も良い。遊びやすい。
これだけ聞くと、もう神ゲー確定のように思えます。
でも、完成度が高いだけで心に残るかというと、そうとも限らない気がします。
きれいにまとまっているけど、なぜか印象に残らないゲームもあります。
逆に、荒削りなのに妙に覚えているゲームもあります。
ゲームって単純に点数で測れるものではないんですよね。
グラフィック90点、音楽90点、操作性90点だから神ゲーです、みたいに決まるならわかりやすいです。
でも実際は、なぜかバランスが変なのに忘れられないゲームがあります。
その「なぜか」の部分に、ゲームの不思議な魅力があるんじゃないかなと思います。
クソゲーならではの面白さって、どんな瞬間?
予想を裏切られる瞬間かなぁと思いやす。
神ゲーは「さすがだな!」って感動するけど、クソゲーは「え、なにこれ!?」って笑いや驚きがあるんですよね。
普通ならこう動くだろうなと思っていたら、全然違う動きをする。
普通ならカッコいい演出が入るだろうなと思っていたら、急に意味のわからない展開になる。
普通なら失敗したら悔しいはずなのに、失敗した瞬間の絵面が面白すぎて笑ってしまう。
そういう予定外の面白さがクソゲーにはあります。
おいらが作るゲームも、わりとこの方向に行きがちです。
狙っている時もあります。
狙っていない時もあります。
むしろ狙っていない時の方が、謎の面白さが生まれることもあります。
開発中にバグっぽい挙動を見て、「これ直した方がいいのか?いや、面白いから残すか?」となる瞬間もあります。
普通の神ゲー開発では怒られるやつかもしれません。
でもクソゲー開発では、たまに宝になります。
神ゲーを目指したことはある?
「神ゲーを作ろう!」と思って作り始めても、気づいたらクソゲーになってた……という経験が積み重なって、「じゃあクソゲーでいいや」ってなりましたね。
拗ねてるだけです。
スネちゃまです。
たぶんゲーム開発を始めた頃は、誰でも一度は神ゲーを作りたいと思うんじゃないですかね。
おいらももちろん思ったことはあります。
自分の中ではすごいゲームになる予定なんですよ。
めちゃくちゃ面白くて、みんなが遊んでくれて、ランキングにも入って、レビューも高評価で、世界中が「きー坊天才!」となる予定です。
予定では。
でも作っている途中で現実が来ます。
技術力が足りない。時間が足りない。素材が足りない。アイデアがまとまらない。
そして何より、思ったより面白くならない。
その結果、「神ゲーを作るぞ!」と始めたものが、完成する頃には「これはこれでクソゲーとして味があるな」という状態になることがあります。
よっ!クソゲー製造機!
クソゲーとの向き合い方、読者へひと言!
クソゲーとの向き合い方なんてものはないですw
クソゲーは手軽に遊べるものなので、気づいたら遊んでいて笑っていた、ぐらいがちょうどいいんじゃないかなと思います。
深く考えすぎる必要はないです。
なぜこのゲームは存在するのか。作者は何を伝えたかったのか。このシステムにはどんな哲学があるのか。
そんなことを考え始めると、たぶんクソゲー側も困ります。
ただ、クソゲーといえど「誰かが頑張って作ったゲーム」に変わりないので、リスペクトを持って遊んでほしいな、とは思います。
神ゲーもクソゲーも、完成させるだけでかなり大変です。
その上で「クソゲーじゃねぇか!」という体験をしていただければ言うことなしですね。
神ゲーは心に残る。
クソゲーは変な角度で記憶に残る。
どちらもゲームの楽しさの一部だと思いやす。



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